江戸末期の考証家・斎藤月岑(げっしん)の『東都歳時記』によれば、江戸東京の「一重桜」の見ごろは立春より立春より60日めから。
それでは、椿はいかがなものかと今更ながらに確認すれば、おっと!やはり60日頃!
しかし、早いモノだと冬の始まりに咲きだす品種もあって、「藪椿」の咲きはじめは、梅の時期と同じ。
そして、桜咲くころは、この「乙女椿」が最盛で、コレが椿の最終コーナーです。
ふーむ。美しい。
中輪千重咲き椿の代表格といったらこの「乙女椿」で、美しいピンクの花びらを幾重にも重ね、まるで人の手で寸法を測り、ひとつひとつ丁寧に重ねて創られたかのような完璧なカタチ。
そして、文句無く可愛らしい。
このまま一輪いただいて、ブローチのように胸元に飾ってみたくもなります。
樹木に咲く様子も桜とはまた違った華やかさです。
ところで、斎藤月岑(げっしん)の『東都歳時記』に記載の椿って、この「乙女椿」でいいのでしょうかねぇ。
ちなみに、「江戸園芸は椿から始まった」とも言われ、その立役者はかの徳川家康。
二代目秀忠も花好きだったらしき、しかも椿を好んだらしい。
将軍様がお好きな花ということに加え、もともと椿は、丈夫で栽培が楽な花木ということもあって、江戸時代には、様々に風流な名前がつけられ、品種改良も盛んに行われたそうです。
そこから営々受けつがれ、現在の椿の園芸品種は数100種類とも!
「乙女椿」は、作られた時期こそ江戸後期と遅いのですが、その数100種類の椿の中でも、造園木としての利用頻度がもっとも高いのだそうです。
…つまり、江戸市中から続く街中で、スタンダードな椿と言えば、この品種だったかも?
さらに、この「乙女椿」という名前。
可憐な姿にそのものずばりと名づけたのかと思えば、江戸時代には、この品種を他藩や他家に出すのを禁止していたことを受けた名前。
なんと「お止めの椿」が「乙女」に変わったのだそうです!
あまりに完璧な美しさに、お武家様たちも出し惜しみしたくなったのでしょうか。
…とこんな話から類推すれば、やっぱり、立春から60日目に見ごろな椿はこの「乙女椿」に間違いないんじゃあないかなぁ。
ともかく、現代の「乙女椿」。
街路樹というより、民家の塀からカワイイ顔を出し、春の青空を背景に、可憐ながらも非常に押し出し強く咲いております。
まるで、染井吉野に張り合っているかのごとくですよ(笑)。
◆今日は、2014年4月6日/旧暦3月7日/弥生丁未の日
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