10月も半ば近くになって、急に日の入りが早くなったように感じるんですが、気のせいかしら?
まだ午後の浅い時間に、太陽はもう西の空にいるなぁなどととぼんやり思って、次にハッと気づけば、もう西の際をきれいなオレンジ色に染めていたりする。
(といっても、今日は、台風接近でそれどころではないですが…)
そして、それから先は、なんだかとっても早い早い。
さあ、暗くならないうちにアレもコレもと倍速でたち働いても、洗濯物を取り込む暇もなく、辺りはとっぷり暮れたりもします。
ああっ!秋の日は釣瓶落としのようだよぉ~!
…と、釣瓶(つるべ)で水を汲んだこともないくせに、西空のほうで陽が沈むのに併せ、ホントににカラカラと音が聞こえるみたいです。
「秋の日は釣瓶落とし」は気のせいなのか?
たぶん、気のせい。
…と思っていましたが、どうもそうでもないみたい。
秋の日に、日没が妙に急くのは、1日毎の「日の入時刻の差」が大きいのが、いちばんの理由なんだそうです。
へーそうなんだ。
ということで、いつもの国立天文台のサイトで、調べてみました。
まずは、いちばん日の入の遅い夏至の辺り、
・2014年6月21日辺りの日没でいちばん遅いのは、19時01分(6月24日~7月4日)。
そこから少しずつ日の入は早くなり、ひと月後…。
・7月24日は18時52分で、前月差は-9分。
→ひと月約30日間、日の入り時間は一定してるように感じるだろう微妙な差でしかありません。
・8月24日は18時20分で前月差は-32分。
→1日1分ずつ早くなる感じですね。これも、そんなにインパクトはないでしょう。
しかし
・9月24日は17時36分で、前月差は-44分。
・10月24日は16時55分で、前月差-41分。
→毎日1分半ずつ日没が早くなる。
釣瓶が落ちるように日が沈むと感じていたのは、日々の変化が性急だったということですか。
なるほどね…。
確かに、こんな、日毎に日没の時刻が早くなるれば、やはり急に暗くなったと感じるのは当たり前です。
さらには、5時を過ぎたとたんに暗くなるというのもインパクトがあるし、過ぎ行く季節への名残惜しさという心理条件というのもあるかもしれない。
おまけ…春も調べてみました。
春には、「釣瓶落とし…」の対の言葉のように「春の日は暮れそうで暮れぬ」というのがあります。
はて、そうだったかしら?
いちばん早い日没が、冬至の日よりかなり早くから始まって16時28分(11月29日~12月13日)。
そのちょうど真ん中の12月6日を起点にひと月ごとの日没時間の推移をみてゆきましょう。
・1月6日は16時42分で+14分。
・2月6日は17時13分で+31分。
・3月6日は17時40分で+27分。
・4月6日は18時06分で+26分。
あららっ!
春の日没の時間変化は、すいぶん穏やかなんですねぇ。
そこに、きたる活動的な季節への期待みたいなの加味されて「春の日々は暮れそうで暮れない」となるわけね。
しかし、春と秋とでこんなにも違うなんて、ちょっと驚きではありませんか?
普段、ぼんやりと受け止めている諺とか昔からの喩えの中に横たわる、昔の人の鋭い観察眼やら深い知恵やらを感じます。
こんな季節のコトバの中にも、私たちのご先祖様は、現代人より、ずっともっと五感も頭もフル回転して生きていた証拠が残されているみたい。
なんか、とっても深く驚かされます。
◆今日は、2014年10月13日/旧暦9月20日/長月丁巳の日
◆日の出 5時45分 日の入17時09分/月の出20時54分 月の入10時19分